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井戸
子供のころはユタと接触する機会が多くあった。
それは実家の庭に石灰岩の深い洞窟(戦中は防空壕)があるために、訪れる彼女たちと
言葉を交わすことがあったというレベルの話なのだけれど、今の日常から考えるとそれ
は不思議な体験に思えてくる。
物心がついたころから体系的に物事を考えるようになり、体験を全て何かしらの体系に
組み込もうというはたらきが今では日常になっているが、その感覚で幼少期の体験を思
い出すと、よくわからないことが多々ある。
ユタの話にしても、子供のころは何か戦没者関係の慰霊に来ているのかなと思っていた
のだけれど、今彼女たちの言葉を思い出すと、水の霊とか井戸の神の話で、今の感覚の
墓参りとは全く違う感覚が伺える。
古代エジプトの信仰を勉強していても、地場の信仰をよく耳にする。とりわけ多くの地
域においては未だ都市化が進んでいないため、古代の遺跡や自然信仰が日常生活におい
て生きているという今の日本人の感覚的には捉え辛い状況がある。
しかしながら、都市整備が進んでいないため、信仰対象が視覚的に見えやすい点におい
ては場所性と信仰が結びつきやすく理解しやすい。
ただ、今後もし都市整備が進んだらどうなるだろうか。
今までの信仰とは無縁に都市住居が立ち並び、信仰対象が視覚的に失われてしまった風
景を考えると、実家の庭に対する信仰を体系化出来ずにいる自分の姿に重なってしまう。
勿論体系化という感覚自体が無意味な世界観なのかもしれないけれども、
それが失われることを考えると、今捉え直す必要がある気がする。
無論、エジプト人の感覚を僕らが外から捉え体系化することは、大事な部分を見落とす
可能性が高く、それは生活者自身がやるべきことだろうし、自分自身について言うと、
生まれ育った場所を考えるべきだろう。
風土性と歴史性は切り離せないのだから。

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